中島悦子「濃度」          Nakashima  Etsuko

濃度
中島 悦子

黄河大橋というだけで、物語はとてつもなく動くように思われた。なにしろ、黄河はなんといっても黄河だから。タクシーでそのそばを走り続けるというくだりでもう「合格」と言ってあげたくなる。だから、続きは読まなくていいほどだ。「合格」なんだから。ものすごく「合格」。

もうビデオテープを見ない。テープが回る。テープを引きだす。そんなことが過去になった。茶色のくしゃくしゃのプラスティックでしかないものを思いっきり引きだしてみた。テープは、燃えるゴミになって、焼却炉で燃えさかる。

テープには、私の好きな作家たちのドキュメンタリーやインタビューが入っていたはずだ。紅い顔、蒼い顔。山吹色の声。薄紫の声。灰色の手、指。無地の布団、万年筆。背景の蔵書。永遠。忘却。煙草。灰皿。紙袋。後悔。その作家たちを記憶することと全く別に、すでに再生はできない。先生は、茶色いプラの中。

「合格」の物語の続きを読まなくていい、というのは極端でした。たとえ、のど自慢みたいに合格の鐘が聞こえても、読むべきものは最後まで読まなければなりません。それを見れば、言葉はもっとやらなければ、やることがあるとやたらテンションは上がるのです。

もっと燃えろ。焼却炉は、実は、本当に燃えるゴミが不足しており、燃油を足しているらしいぞ。テープを燃やせ。本末転倒。転倒本末。そういう無念の煙が、町の真ん中にある焼却場の高い高い煙突からは吹き出ているのだ。

テープだと、あと何時間録画できるな、なんて、目で確認できたよね。予想も立てられたよね。そして、その予想を読み間違えた。記録は劣化した。限界というものが凝縮されていた。もう、眼で中身が確認できることは、ジュースと点滴の中身くらいしかない。

たいした尊敬ではなかったというのか。毎日のように「合格」を心の中で叫びつづけたわりには、私は簡単に燃やされたりして。笑える。

急に、あの高い煙突のてっぺんにいる私。そこで、ビデオテープで灰になった先生の煙を探す。先生、先生。

いらないことは「不要(プーヤォ)」と。その声はもみ消された。道ばたでも川べりでも「千円!」と土産物を無理矢理つかまされてたっけ。自分も、相手も哀しい姿だった。そこは黄河中流で、本当に水が黄土色だった。全く底は見えない。どこも埃っぽかった。土産物は黄砂にまみれていた。そんなやりとりをする人間でいたくなかった。よろけた拍子にどこかにただ逃げ出したかった。喉が渇いていた。

煙突のてっぺんにいる私。どれくらい世の中の人の血の気がひいているのかは、眼で見ることはできない。ただ、ただ、見せかけ透明に近くなった有害な煙が、ふわーっ、ふわーっと、あっという間にまぎれて消えて。濃度を上げて。さわがしくしてごめんね。知らないことは、知らなくていいから。時々、この焼却場の煙突みたいなところに行きたくなる私を許してください。


※ ※


荷物をかかえ、電車に乗り
別の市内の錆付いたタワーに上った

エレベータの出口で
うちわをあげます、と言われた
いいえ、うちわはきらいです

くもった高い窓から
古い商店街が見える
動物園も

焼けるような太陽の下に
小さい折れそうなきりんが、ぼんやり立っている
しっぽを所在なげにゆらして

ああ、きりんが、とつぶやいてしまう
いるはずのないきりんが
ここにつれてこられて

朱色のカンナの花壇が燃え上がって

駅があって

      「洪水」7号