白菊の移る時 中島 悦子
「紫式部は、肌、つるつるだね」
「清少納言と区別がつかない同じ顔」
双子の姉妹は、そういいながら歴史人物トランプの絵を熱心に見ていた。
「ペリーって、外人」
「はげって、言っちゃいけないんだ、杉田玄白に」
十分前に投げたボールでいきなり蛍光灯が割れた、それさえ巻き戻せないのに。ごめんなさいも言えないのに。
「卑弥呼の超能力信じるし、神様も信じるし。いなくても」
「雪舟って、いい名前」
カードを次から次へと交ぜる。蛍光灯の飛び散った破片で誰も怪我をしませんように。
歴史の人はみんな裸足だから。
「小村寿太郎は、やせてる、やせすぎてる」
「近松門左衛門の烏帽子って、フュージョン。顔の皺も」
ひとりひとりの眼は全部肉筆。人の記憶を借りながら、双子の姉妹が解釈する潤んだ眼のありか。いや、ドライアイの理由もすべて。それは人が描いた眼だから。見る人が決める眼だから。
「全部が歴史になっちゃうってありえないし」
「トランプの枚数増えないし」
蛍光灯の光の届く範囲で思うこと。何年経っても天下は取れない。もう天下を取ったような同級生を尻目(あの年で)に。島国のくにざかいあれこれも、もう確かめることはできない。百三十機の消えた飛行機のことは知らない鑑真。
双子の姉妹は、国籍のわからないTシャツを着て、いつまでも増えない歴史の話をしてい.る。清らかな白菊はいつ咲くと言ったらいいだろう。
双子の姉妹は、今日も学校に来られない子どもたちのためにおにぎりを作る。梅がいいの、昆布がいいの。学校に来られない間に進んでしまう歴史。それを真っ白いごはんでぎゅうっと固めて。行基にもあげる。
広重にもあげる。
支倉隆子氏詩誌「西へ。」(18) 2011