中島悦子「いつもの駅前」     Etsuko Nakashima

いつもの駅前
中島 悦子

駅前で、地元を強調している衆議院議員が演説をしている。彼は、単なる顔見せで、挨拶の連呼である。朝は確かに衆議院議員にとってはめでたいのだろう。浮浪者が衆議院議員と十メートルくらい離れたところでほんの小さな声を出している。「みなさん、俺に金をくれる気持ちはないかな。ちょっとくらい、金をくれないかな」。私は、その言葉に打たれて、その声のつぶやきに打たれて、お金をあげたかったけれども、男に顔を覚えられたら嫌なので、聞こえないふりをした。本当は、お金をあげる気持ちがあった。

今となっては、毒のことは誰も何も言わない。何もなかったかのように食材は流通している。毒入りの米も牛乳も正体をあかさず、正しいものたちと混ぜて販売。混ぜたり加工したりすれば毒は薄まり、もともと目には見えない。広く、薄く。薄く広く。

清流を彼と船でずっと上っていった。ここにいたい。いられればいいのに。離れたくない。愛してる。川は、時間そのものだから、このまま上っていけば彼と私が小さな一つの細胞だったころにまで戻れる。そうしないと毒は消えない。そして、そこまで戻らないと彼と私とは会えない。見えるところ、見える時間だけ愛しているんじゃない。

意味わかってんの! あまりに理解が遅くて声を荒げる。数字が書いてありさえすれば分かるとでも言いたいのか。数字の前でおとなしくなる獣とは。

黒葡萄があり、黒い皿にのせて描く。凝視すると、描く早さよりも葡萄が腐る方が早い。房から次々と葡萄は萎びて落ちていく。暗い闇に腐った葡萄は落ちていき、そこで闇と葡萄の色とを描き分ける。題材は難しい方がいい。葡萄は腐り、黒い皿の上で滅びる。

この色たちの描きわけにくさと毒のわかりにくさは根本的に違うのに。何か、無駄なテーマを見つけたような気がする。目の前を見ると。部下はみんな何も知らず馬鹿だと思っている衆議院議員の気味の悪い笑顔を見るだけで。

気づけば、子どもたちが飼うと言い張っていたカタツムリを放置していた。水槽の中でひからびたカタツムリは、異臭を放っている。死んでいるのに、子どもたちは外で遊び回っている。餌も水も与えず、死ぬ運命だったということも忘れて。カタツムリの代わりはいくらでもいて、少しも寂しくはない。水槽を徹底的に洗いなさい。私は静かに言う。

コンクリートの山道には、ミミズが訳もなくはい出てきていて、死にそうになっている。それが相当の数だから不思議だ。お前達は、土の中にいればいいんじゃないのか。眼も見えないのだから、なぜ地上に出てきて、トラックに踏みつぶされたいのか。意味、わかってんの! 今ごろになって、光が恋しくなったのか。土の中にいられない何かがあるのか。

毒は黒色でも黒紫でもなかったのだと駅前で気づいている。ここは、荒野。獣の荒野。こちらを見るその目が獣。



              木立ち113号