中島悦子「逃/亡」   Etsuko Nakashima

逃/亡
                  中島 悦子


鉄道自殺は、晴れの日に多いという新聞記事に一瞬ぎょっとするが、それは普通のことだろう。たぶん、私はハレとケの語感を思い出して、身が震えたのだった。遠足も旅立ちも晴れたほうがいいのだから。そんな勘違いばかり。今日も近所の猫は、小鳥をねらっている。本能のままに生きる。

逃げ切れたらいいなと思うことはある。そこそこに要領よくいければと誰もが思っていることだろう。しかし、それほど甘くはない。

誰も責任をとらなくていい世の中なら、秩序も道徳もなく、みんなが獣のように生きればいい。道を横切るだけでも命がけだ。本当は、そんな世の中を望んでいるのではないのか。大御所の「政治生命をかけて」という言葉が獣の世の中をかけめぐる。その言葉の意味なんて理解しなくていい。

目盛しかないものさしは、子どもにはのっぺらぼうのおばけに見える。何かわからない記号を吐き出している生き物だ。次の危機では、役所は「何キロ先に逃げろ」とはっきり言ってくれるのだろうか。獣の世の中で、そんなことは言う必要はなくなったのだろうか。そうとしか思えない。危機を前にハンコになりきって演技している大御所。ハンコの演技を誰が見るのだろう。

子どもがのこぎりくわがたを飼いたいと言い出す。あるいはかたつむりを飼いたいと言い出す。先の見通しはあるのか、覚悟はあるのかふだんより厳しく問いただす。ものさしで、何をはかるべきかまだ教えていない。

自動販売機補充員は、いろいろな缶飲料を扱う。彼には、自動販売機が象か何かの生き物に見えている。お腹が空いたのかい、とつい話しかけながら、お茶や変わった味の飲み物をガタンガタンと入れ続ける。五十メートルごとに自動販売機がありきりがない。こんなに増えては共倒れになると思い始める。でも、いつか獣の世の中になればこの口で、缶ジュースを飲むことはできなくなるのかな。そのときは、たのむよ、と話しかける。

備蓄する水の量だけは確実に増えていく。それがピークになる前に、子どもたちとかたつむりを連れて、光より速く、全力で逃亡したいが。






 
  詩誌「風都市」24号(瀬崎祐発行)に書かせていただきました。