中島悦子「声をめぐる神話」   Etsuko Nakashima

声をめぐる神話
中島 悦子

「悪い子はいないかー」。「泣く子はいないかー」。鬼の声が響く。市民全員、低温火傷を負っている。みんな泣きたいが我慢をし、静まりかえり下を向く。暴動を起こす気力はない。なぜかそのままの姿勢で鬼にあやまる。これ以上、にぶい治らない傷に刃物をいれられたら本当に死んでしまうから。

空中ブランコ乗りって、一般の人にとってありえない職業なのかな。観念の中で幻のように存在するだけで。そういえば、全身がバネのような固い筋肉の元ブランコ乗りの彼とキスするとき、必ず風の音が聞こえるような気がする。彼は、時々長い溶岩洞窟から戻ってきたような顔をすることがある。マグマが恐ろしい勢いで流れたあとの空洞には、業風吹きすさぶ。          

「悪い子はおらんかあ」。「泣く子はおらんかあ」。市民は低温火傷が痛いとようやく気づいているが、なすすべはない。「悪い子はおらおらおららんかあ」「泣く子はおらおらおららんかあああ」。涙を隠して、体育館で布団を敷き続けた。その布団にはまだ声が残っている。低温火傷は、見た目よりずっと深く、骨まで達している。

毒は、放っておくと小さな島国全部に広がってしまい、安心な場所はひとつもない。かなりの子どもが鼻血を出しているというが、報道はされない。今朝もケン君が、鼻にティッシュを突っ込んでいた。「どうしたの。鼻くそばっかりほじっちゃだめだよ」。市民という身分、全部を棄てて、難民になろうか。難民とは、どうやったらなれるのだろう。小舟で出かけるといいのだろうか。

夏のクールビズ。藁の服を着るともっといい。夜は、交代で鬼になり、市民全員が鬼となり、互いの家を練り歩く。「悪い子はいねっかー」。「泣ぐ子はいねっかー」。「悪い子はいねっかー」。これは、夜回りのボランティア活動となる。監視こそがボランティアというものか。誰が誰をと強制したわけではないのに、夏でも寒くなる。秋になれば、いっそう身に染みるだろう。そしていつか藁の服に雪がかかるまで。

「いつか、みんなが悪い子になるの?」子どもが聞く。「そうだよ。みんな、悪い子になるんだよ。いいから、気にしないで、もう寝なさい」。優しく諭しながら、毛布を首までかけてやる。子どもはそのまま安心したように眠っている。

人の声は、人の声で、自分の声ではない。なぜ、「飛べる」なんて、あんな根拠のない声に従わざるを得なかったのだろう。自分は三回転を飛んだことがないのだから、拒否すべきだった。その声に促されてブランコから手を離して回転した直後、安全ネットに足を突っ込み、俺の両足の骨は、粉々になった。そして俺は、空中ブランコ乗りをやめた。            

溶岩が置かれた。溶岩の見所はどこか。それだけを見ているとただのどこにでもある奇怪な溶岩であり、人格が高まるというたぐいのものではないのかもしれない。溶岩は、いつでも捨てられる。神話のように。

   「attention」かまくら特別号 (2012.10.6)