中島悦子・「防人、入れ子の夢」

防人、入れ子の夢
  中 島 悦 子

あの人が防人に行くという。止めるすべはない。私は、丈夫な子を産むために、病を治して、大きな腹切りなどして待っていますから。あの人の声が好きだった。何万年もあの人の声を聞いていたかった。防人に行くと三年は、帰ってこられない。その間、私の傷は癒えないだろう。

暗闇に目覚め、寝具の中に年老いた私がいる。仕留めたオオカミの剥製が何匹も何匹も干され、つり下げられた倉庫があり、私の夢も時々そこに入れられて、熟成させられている。私はもう、老いていて、あの人を愛する資格も待つ資格もない。あの人は、私を見つけることができない。

それでも、防人に行くあの人を待たずにはいられない。何十人もの女があの人を待っている。あの人を巡る愛は、そのように何層にも重なりつづけて、本当は見えない。お前は俺の女だと何層もの夢の奥で言われたように思う。けれど、そんな言葉はなぐさめにならない。

オオカミの胴のだらりと伸びきった剥製。それを枕にしたり、毛布にしたりして、これからの冬をしのぎ、三回の冬を越したあと、あの人が帰ってくるとして。防人の末路は、厳しく、帰り道に力尽きることが多い。そのとりかえしのつかない帰路、路傍の骸となり果てて。それでも私のもとに帰ってくるとして。

あの人は、武器の使い方を覚える。何を待ち続けて、朽ち果てようというのか。幻想の国のために。幻想の国境のために。だから、私の傷は治らない。また目がさめて、私だけが老いていることに気がつく。その容貌。夢だけを差し出すわけにはいかないから、あの人に。

寝心地の悪い毛布をたくし上げ、たくし上げして、眠れないと巡り巡りするうちに、その毛布に窒息しそうなほど締め上げられる。これは、悪い夢だから、早く目をさまさなければともがくうち、少し意識が戻った。しかし、また締め上げられうめくということが何回か繰り返された後、本当に目が覚め、ひとり老いた暗闇に自分がいる。全く何も、声も聞こえなかった。遠い入れ子の夢の中に、記憶がベールのように何層も何層も重なって。

「いつになったら、子安に着くの。ママ」長い旅と重い荷物。その子をなだめるという幻想。その子は他人の子。私の畑に芋はできていない。私の腹にも。あの人が私にしきりに話しかける。そして、また夢から覚める。

早く路傍の骸となって、私のもとに帰ってきてください。防人に、今まさに出発しようというあの人を見送りながら、もう次の夢の結末まで知ることになっている。



               「木立ち」105号