中島悦子・「半夜」

半夜
中 島 悦 子


旅先では、どんな厠でも入ると決意しながら、そうできなかった時があった。厠は、試練の場。世を捨てると決めたことが、嘘でしかなかったことになる。世は捨てた方がいいに決まっているのに。諦念とかもあるに越したことはない。女が厠のことでひるんでいてはならない。ろくな文は書けない。

八歳のレイは、「一日に十五分しかテレビを見ない」という。「だって、アニメは三十分の番組が普通じゃないの」とにぶい教師は尋ねる。「だから、明日見るの。十五分ずつ」。辛くはないのか。人生をもう少し諦めると、テレビも三十分は続けて見られますからって、ママに忠告。

厠は、人生の最後にめざすところだから、そこに自力で行くことが重要なのだ。それを励まして何が悪い、と私は思う。最後まで励まし続ける。何と言われても。それが最終目標なのだから。よけいなモチーフはいらない。這ってでも。

いつもテレビを見ている。どうでもいいストーリーだけが比喩というものを忘れさせてくれる。私は、決まりきったドラマを二時間見るのだから。なにもかも諦めて。その覚悟。エリート女史に言われる。「詩を書くように気楽に」って。自力で書いているものの気持ちは、一生分かるまい。

中国の奥地の厠は、野犬がうろついて、かみつかれそうだった。入ろうと思ったらこげ茶色の野犬が飛び出てきた。便器には、汚物がもりあがってしゃがめなかった。ドアもなかったので、無防備なところを襲われるかもしれないと怖かった。でも、今になって思う。あの作家の何もかも真っ白のオフィスよりは、ましなのだと。なぜ、あれしきのことでひるんだのか。

香川照之の演じる「岩崎弥太郎」は、いいです。香川の文脈がいいのです。香川の笑ったところが好き。歯がきたない。私は、これから廊下の拭き掃除を毎日して、風水を信じて生きていこうと思います。

弥太郎は、今ごろもやし料理を食べているだろう。そして、もやしをテーブルにならべて、やはり、暗躍の文脈のことを考えているだろう。すばらしい。急に恋人から国際電話が入る。今、テグにいるんだけどって、その味付けがわからない。それは、テーマってことですか。

真っ白のオフィスでは、権力のことしか言えない男が細い目をして笑っている。中途半端な言葉を振り回して。「一日に十五分しかテレビを見ない」。そら、よかったね。「詩を書くように気楽に」。そら、そうや。コメントは短く。諦めて。

どんな泥も夜かぶります。どんな比喩も夜かぶります。どんな暗躍をしたところで、朝には、風水吉方へと向います。真っ白いオフィスは、どんなテーマにもなりえない。それを諦念の汚泥で踏みしだいて、厠へ行きます。
                           「木立ち」106号