中島悦子・「純粋漆」

純粋漆
              中島 悦子

木食修行の最後に漆を飲んでミイラになるという。漆はどれだけの人間を土中入定させたか分からない。掘り出されたミイラは一握り。なりそこねたミイラもあわせれば、何千というミイラが今も埋まっているということだ。

漆掻き職人は言う。「殺し掻き」が普通と。

幹の傷口を掻き取って、掻き取って、悲痛の漆を少しずつ少しずつ集めて、最後には涙も出なくなった漆の木を切り倒して一年を終える。

漆塗りの職人から、漆掻きに転じた男。そんなにしてまで取った漆を部屋の中でただ均等に美しく塗るだけでは、どうにもこころがおさまらなくなってきた。山を這いずりまわってこそ、漆と一体になり、漆になれると。

明治時代になって、はじめて土中入定が禁止された。そんな馬鹿なことやっちゃいかんと、そんなこと科学的に考えてみろということになって。

しかし、人間のこころは止められない。ほんの少しの水を飲み、木の実を食べて、それで本当に遺体が腐敗しないかは別のこと。土中の石室から聞こえる読経と鐘の音の臨場。読経の声が止んで鐘の音さえいよいよ聞こえなくなった刹那。

子どもは何もわからず、土中の者に言う。今度生まれるときは亀になさい。長生きできるから。何も考えない方がいいから。

人間のしたことを、ぎりぎりまであがない漆を満たす。内臓を生きながら干上がらせて、あるのはただ黒い黒い堅い堅いこころだけなのだと。

こころしかないところで、どうして生きられよう。こころだけが重要な場所で、男は、一年の漆を壺につめて、固く封をする。本当は、二度と開けてはならないものを掻き出した。這いずり回った自分の名前は決して書かない。




             「詩と思想」7月号 巻頭詩