中島悦子 「反旅」         Etsuko Nakashima

反旅      中島 悦子

目的もなく、ソウルに六泊。着いた日は大雨で道路は川になっていた。ソウルも雨にもろい。それは、どことなくうれしい。ずぶぬれの人々と私。日本でもなじみのコンビニがある。売っているものが微妙に違う。バナナミルクとかが甘い。あずき牛乳とかも甘い。海苔巻きが絶妙においしい。江華島行きのバス停が分からずうろうろしていると、韓国人が話しかけてくれた。二人がかりでバスの運転手に無理矢理ドアをあけさせて聞いたり、あたりの人に聞いてくれたりして、そのうち通訳までしてくれる人がでてきたりして三十分後に判明。バス停は、とんでもない方向にあったけれど、親切が身に染みた。

我が家の冷蔵庫が断末魔の叫びをあげている。冷凍庫がいかれてしまい、すべてのものが溶けてどろどろに。何かそこだけが地獄になってしまったようだった。きっと地獄とはそんなところなのだろう。カレーも刻みねぎもコーンも焼きそばも、全部死んで。

ハノイでは、ベトナム戦争直後の話を同じ年の男に聞いた。道端で、餓死している人がいた。そんな人だらけでどうにもならなかった。昨日、かろうじて生きていたのに、翌日は息がなかったという。年上の兄姉は、働き過ぎで失明した。ベトナムの国花は、蓮。同じだけの死者がいてこその花。香水のようなにおいのおしぼりの配られるベトナム航空。弔いの年月は永遠に流れる。

自分の体は、今苔だらけになって岩となりそうだ。心の中を通る列車は、マレー鉄道。窓と座席の位置がかみ合わず、どの席からもすっきりと外は見えない。植林された広大な椰子の木畑がある。椰子の木は、腕を広げた人間のよう。働いているといやな人間にしかなれないのか。なりたいと思う人がひとりもいない。世の中は、業界用語を駆使している場合ですか。勝手に決められた言葉や定義。置き去りの人が多い中で、自分だけが優秀に見えるように働くなんて。あまりに貧しい。

韓国人ばかりの汗蒸幕で汗を流した。黙っていれば誰にもわからない。くつろぐ人々に紛れていた。市場で鞄を買った。別の市場で紅茶を買った。ルワンダを舞台にしたツチ族フツ族の抗争の映画をかつて見た。ラジオ放送に洗脳されていく人々。死体が道なりに連なる。木も生えない赤土の上に。

食事のたびに「辛いですか」が習慣に。スパゲッティまでびっくりするほど辛かったし、おいしそうなホットクも甘いものはなかった。そんなことを聞くと、韓国人は、気の毒そうな、うれしそうな顔になる。「大丈夫だよ、辛くない」と言う料理を選んで食べる。何度か韓国人に地下鉄や通りで道を聞かれた。見かけは分からないのだろう。何も答えられず、こちらも気の毒そうな、うれしそうな顔になる。

キューカンバーエキスと、書く必要ありますか。きゅうりですよ、日本語は。ハノイには、もう少しいたかった。辛いだけかもしれないけれど。家々の古さ、道の混み具合。道端の露店のフォーやパン。人間を許せといっているよう。バイクの騒音に体温を感じながら、かすんでいく小さな花もようのネオンの明かりを見ている。ここには、足下に蛍がいて、草の陰でちゃんと光っていた。




                         「木立ち」 111号