中島悦子・H氏賞受賞の言葉②   日本現代詩人会会報 No114

受賞の言葉                            

                                中島悦子


 もうずいぶん前のことになりますが、H氏賞の創設者平澤貞次郎氏がテレビでインタビューされているのを見たことがあります。朴訥な福井弁が端々に残り、すぐに福井の人だとわかりました。平澤氏自身も詩を書き、詩を読むことで励まされてきたから、詩人を励ましたい、名前は出さずに匿名にしてもらったというような内容でした。とてもさわやかないい話でした。終戦後すぐに詩に光をあてられたのは、平澤氏の純粋な熱い思いがあったからだろうと思います。一九九一年、平澤氏がお亡くなりになった時の新聞記事は切り抜いて今でも大切にとってあります。一昨年の詩祭では、その遺志を継がれたご令息、協栄産業株式会社代表取締役会長の平澤照雄氏にお目にかかることができました。H氏賞受賞詩集の電子書籍化について熱く語っていらっしゃいました。
私は、H氏賞受賞の言葉の前に、やはり平澤氏のことに触れずにはいられませんでした。H氏賞は、夢のまた夢と思っていましたが、毎年すばらしい詩集が受賞され、それが伝統となり詩の世界では重要な賞となっていることは、大きな励みでした。このたび、そのH氏賞をいただけたことは、望外の喜びです。
拙著『マッチ売りの偽書』には、「あとがき」をつけませんでした。これはこれで燃焼しつくしたのだから、あとはどう受け取られてもいいという案外さっぱりした気持ちからでした。社会混迷の時代、ポストモダン以降の現代詩がどうあらねばならないのか、頭の隅でいつもひっかかっていました。自分の詩もいったんすべてゼロにしなければならないのではないかと思い悩みました。そこで、自分の詩は今までの作品を含め粉々にして断章にしました。そしてほとんどを棄てました。惜しくはありませんでした。その酷薄なところを強調しながらも、これまでの歴史の様々な事実、文学、哲学、戦争をめぐる他者の無限の言葉は決してなくなることはないと思いました。時代の荒みを引き受け、言葉の業火を燃やしながら生きる。その混合の形が、文体そのものとなっていきました。これが単なる思いこみにすぎないのではないかと危惧しながらも、励ましの声をいただけたときには、何事かは伝えられたのかとほっとしました。
 最後になりましたが、拙著を選んでいただいた審査員の皆様に心よりお礼を申しあげます。新たなスタート地点に立ったと思います。これから何を書かなければならないのか、何がまだ書かれていないのかを謙虚に考えていきたいと思います。これまで私を支え、詩を語り合ってくださいました多くの先輩、友人の皆様にも感謝申し上げます。

初出 「日本現代詩人会会報」No114 2009.4.20