中島悦子・H氏賞受賞の言葉①「詩の湖底」

    詩の湖底  
                中島 悦子

 詩の湖底は深く、潜っても潜っても届かない永遠の秘境です。高校生のころから詩を書き始め、ただひたすら、飽くことなくこの潜水訓練を続けてこられたのは何故だったのでしょうか。ただ、がまん強かっただけかもしれませんし、ちょっとお馬鹿だっただけかもしれません。思えば、この訓練を始めたことにより、世の中の見るもの聞くもの体験するものすべてが、詩の言葉のリアルに、直接・間接に結びついてしまうという、幸福でもあり、不幸でもある生活を送ってきたように思います。もちろん、訓練をして何になるというわけではありませんが、特に華々しい才能があるわけでもなく、それを止めたら何歩も後退するという現実だけがあるように思っていました。
 拙詩集『マッチ売りの偽書』は、第二詩集より大分時間が空いてしまいました。それでも、黙々と訓練というか、何かを書くということだけは続いていました。私を逡巡させていたものは、ポストモダンからそれ以降の文学の流れでした。文学研究の方法も変わり、物語の価値の崩壊といわれる中、「甘栗」という作品は、生まれました。実際に、単に上手な詩とか、完成された詩とか、そんなことをいっている場合ではないだろう、と。社会の混迷、市場原理主義の蔓延などでどこかおかしくなっている時代に、詩だけ無事ではいられないと強く思いました。日々労働者として働き、日常生活を送る中で、その荒みは皮膚感覚として無視できないものになっていました。
 私は、これまで書いていた詩のほとんどを粉々にして、その大部分を棄てました。すると、かろうじて残そうと思った言葉は、酷薄な断片となって並んでいきました。イメージは、断層。積み上げてきたもののずれ、痛み。そして、消そうとしても、飛び火してやまない言葉の炎でした。勝手に作り出してしまったヘラオのマッチの火が、思いのほか次々と燃え広がっていきました。
 自分さえ焼いてゼロにするという思いの中で、かえってこれまでの歴史の事実や文学、他者の言葉には、生のありようを照らし出すために忘れてはならないものがあるように感じられてきました。それらの断片をさらに並べ続けることは、危険な作業でもありました。意味不明、理解不能紙一重だったからです。
 苦しい、ただ滑稽な息遣いを誰が理解してくれるのか、心もとない限りでした。しかし、行間の力を信じることにしました。それが、私自身の詩の呼吸のように見えたからです。潜水訓練とは、思えば呼吸の訓練でもあったのかもしれません。
 詩の秘境は、永遠に秘境です。詩集は、その過程にあるものでしょう。詩集の発送が終わってから、自分でも可笑しくおもうほど、またその潜水訓練を始めています。何年後かを生きるのではなく、明日、自分が生き延びるためにそうしているのです。それだけなのです。愚直な習慣とはおそろしいものですが、現代詩がやはり、時代の呼吸を先端で感じていかなければならない性格のものである以上、アスリートと同様の毎日をくりかえすことが、何か新しい自由の通路を見つけるてがかりになるのではないかと思います。 
 これからも、どこか不器用で滑稽な自分の詩の言葉たちと付き合っていくしかないのですが、何を書くかではなく、まだ何が書かれていないのかを自分なりに考えていきたいと思っています。
 最後になりましたが、拙詩集を選んでいただきました審査員の皆様に心よりお礼を申し上げます。また、詩を語り合ってきた先輩、友人の皆様にも心より感謝します。

初出「現代詩2009」日本現代詩人会 2009.6 .1

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